Kinsei R&D | Fujimoto Takayuki Works

光と照明による能舞台の陰影

Noh Theater Play directed by Yamamoto Akihiro / 2010 - Ongoing

OVERVIEW

かつて、能は屋外の自然光の下で演じられていました。一日の時間の経過とともに、能舞台は光によって効果的に移ろいます。しかし電気が普及し、屋外の能舞台は明治時代に建物の中に入り能楽堂となり、いつしか能は、平坦な蛍光灯の下で演じられるようになりました。
この「光と照明による能舞台の陰影」は、2010年より藤本隆行の光による演出で、当初は公演毎にLED照明を仮設して上演を重ね、やがて2013年に山本能楽堂は舞台の基本照明機構としてLED照明を導入しました。
世界最古の仮面劇でありユネスコ世界無形遺産である能楽と、デジタル技術の結晶であるLED照明。「今」の技術と感性が加わった、現代の魅力溢れる能舞台をお楽しみください。


PRODUCTION NOTES

能舞台の外側から:

最初に能舞台を見たのは、いつのことだっただろう。僕の育った家庭は、定期的に劇場に足を運ぶような習慣はなかったので、たぶん能の公演を見たのもそれほど幼い時ではないと思うのだが、とんと思い出せない。ただ、ずいぶんと奇妙な建物だなと思った印象だけは、何となく覚えている。建物の中にある、屋根のついた舞台・・・それが、その能という芸能の長い歴史の中で、どちらかといえば最近起こった変革の結果であると意識したのは、これまた自分の時間の中ではぐっと今に近づいて、つい最近のコトだ。
そんな自分が、まさかいくつもの能の演目に新たに照明を付け加えることになるとは、まったく思いもよらない幸運な巡り合わせだと感じている。つまり裏を返せば、僕は最近まで古典芸能に特別な思いがあったわけでもなく、その分野の知識や経験値などほとんど無きに等しかったと言っていい。

その僕が、まがりなりにも何とか、いくつもの演目に対応できている(と思っている)のには理由がある。端的にそのわけを書けば、「全ては既にそこにあった」からだ。しかも、二重の意味で。

まず、能の各演目の内容は、膨大な時間/伝承のフィルターにかけられ、時の流れの中で洗練された完成形として、既にそこにある。そこで語られる言葉が、現代口語からはかけ離れているので、かなり取っ付き難くはあるが、それでも、もしよく意味をたどることが出来れば、多くの状況はちゃんと見えて来る。
そしてさらに、この能楽堂という空間自体が、ある種の記録装置として作用し、そこにあり続けている。特に、これは僕にとって非常に幸運だった点だが、「山本能楽堂」には二階席があり、そこからの視線がある種のデザインプランのように、屋内に入る前の能舞台の姿を僕に垣間見させてくれる。

能舞台の上にかかる屋根が、実際に雨や雪を受けていた頃。その戸外の舞台を照らす光は、四季の移り変わりによる変化はもちろん、一日の移り変わり、太陽の運行による変化によっても、その微妙な意味合いが移っていったことだろう。ここの能楽堂の二階席は、その移ろいのある一瞬を切り取っている。それはたぶん早朝、もしくは夕闇近く、いずれにせよ太陽が地平線に近づく頃合いだ。その時刻、光は鏡板に届く。それは、観客の視線を考えると当然のことと言えるが、二階席からそこまで見えるということは、外からの光もそこまで届きうるということを意味する。その光は、一日の中でも特別なものだったのかもしれない。日中、真上に近い角度から降り注ぐ光は、あらゆる事物に反射して、三方向から能舞台に入り込む。そこでは、光は柔らかく全体を照らしだすだろう。しかし、朝夕に浅い角度から直接舞台中に射す光は、角度故の色合いやそしてもっとも重要な陰影を生み出す。

僕が、最初に照明を付けさせて頂いた公演が終わったあとに、能面の陰影の具合や衣装の発色などを、ずいぶんといろいろな方から褒めて頂いた。元来、良い評価はいつまでも覚えているが、それ以外は一晩寝ると忘れてしまう質なので、そのせいで褒められた褒められたとそればかり残っているのだが、何のことはない実はそれらの光の効果は、僕などとは関係なく遥か前から既にそこに在ったのだ。
舞台に直接光が差し込み、しかもその色合いの変化がもっとも知覚されやすくなる時刻、金泥や錦糸に反射する光は、直接舞台上から観客席の眼に飛び込み、能面や装束の微かな襞までもを強いコントラストであらわにする。それは、ずいぶんと昔から既にそこに在ったものであり、舞台の、装束の、能面の力である。僕はたまたま好運なことに、LED照明をその光の来る場所に置くことが出来たのだ。

そう考えると、逆に屋内に能舞台を入れ込み、舞台中に電気照明を吊った先人たちは、今と比べてもずいぶんと革新的だったのだと考えることができる。季節や天候によっては、逢う魔が時の薄闇の中に溶けていきそうな舞台もあっただろうに、そのすべてを、細やかな四肢の動きや微かな頸の角度までを、すべて見せるという決意が、何処かでなされたのだろう。今で言えば、解像度が桁違いに上がるような状況が生み出された。その革新性は、舞台照明にLEDを使うというようなことよりも、よほど大きな決断に思える。それがもたらしたであろう変化に対峙する意思は、並大抵のものではない。ただ、その結果、舞台上の存在は大きくその影を失ってしまった。しかし、それでも連綿と能の公演は続いているのだから、その決断は十分に意味があったに違いない。

そして連綿と続いて来たということは、裏を返せば変わり続けて来た歴史に他ならない。例えば、人の知覚では植物の成長を直接「見る」ことはできないが、微速度撮影すればそのダンスのような動きが分かるし、その植物の今ある形自体が成長の記録そのものであるということも理解できる。そのような能自体の「記憶」に助けられて、今回も照明を付ける勇気が持てていると言っても、あながち僕の中では嘘ではないのです。

2011年7月11日 藤本隆行 土蜘蛛公演のパンフレットに寄稿 


PERFORMANCE SCHEDULE

演目会場
201010work#01「葵上」山本能楽堂 大阪
 10work#02「安達原」山本能楽堂 大阪
20112work#03「葵上」山本能楽堂 大阪
3work#04「鉄輪」山本能楽堂 大阪
 5work#05「鵜飼」山本能楽堂 大阪
7work#06「土蜘蛛」山本能楽堂 大阪
 10work#07「新作能・水の輪」山本能楽堂 大阪
20133work#08「海士」山本能楽堂 大阪
 7work#09「土蜘蛛」山本能楽堂 大阪
20152work#10「鉢木」山本能楽堂 大阪
 2work#11「船弁慶」山本能楽堂 大阪
20166work#12「安達原」山本能楽堂 大阪
11work#13「鉄輪」山本能楽堂 大阪
20192work#14「安達原」大津市伝統芸能会館 滋賀
 8work#15「小鍛冶」山本能楽堂 大阪
20208work#16「井筒」山本能楽堂 大阪
20217work#17「葵上」山本能楽堂 大阪