Kinsei R&D | Fujimoto Takayuki Works

lost 2

Dance Performance, Light Up Installation directed by Fujimoto Takayuki / 2010 - 2012

OVERVIEW

2010年に倉敷市の大原美術館の企画により、美術館展示室内で初演されたライブパフォーマンス。

2007年に制作された「lost」と、対をなす作品として構想されたパフォーマンス。16台のLED照明を床に置き、ダンサーである平井優子が、自らの手で灯体の位置を公演が進行していくのは、「lost」と同じ構造である。
この「lost 2」は、前作が「祈り」に対する考察であったのに対して、「祈り」と共に、いかにヒトが「死」に向き合うことが出来るかという問いを、個人の視点から見つめようとしている。
作品の音響は、ヴァイオリニストの辺見康孝に託され、全編を通じて、ヴァイオリンの生演奏と彼自身が立てる音で構成された。彼はコンセプトの確立から、内容に関わっている。
そして公演中の照明の一部は、演奏音をコンピューター処理し光に変換することで、インタラクティヴに音と同期し変化していく。

なお、この作品は、倉敷市の大原美術館が主催する「AM倉敷_Artist Meets Kurashiki」シリーズの第7弾として招聘され、第二次世界大戦以降の日本の現代作品がならぶ大原美術館分館地下展示室を舞台に、10日間の滞在制作の後に、公演とインスタレーション展示が行われ、2012年には川崎市市民ミュージアムで再演された。


PRODUCTION NOTE

lostは、「祈り」に関する考察だが、それは「死」を見つめてみる行為でもある。「雨が降るように人は死ぬ」という言葉があるが、最もありきたりでそしてすべての生命に必ず訪れる現象。
その「死」の受容には「否認・怒り・取引・抑鬱・受容」の5段階があると唱えたのは、精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスだが、僕がそれを読んだのはGoogleについての本の中でだった。それは、ヒトの死ではなく、旧来の音楽業界がiTunesに代表されるようなデジタル・コンテンツ配信事業によって、いかに息の根を止められかかっているかについて書かれた箇所でだ。伝統的音楽業界のデジタル配信に対する対応は、まさに受容の5段階を踏んでいる。

振り返ってみれば、僕たちは常にいろんなモノゴトを信じているし、信じていないと生きてはいけない。それは、これまでの積み重ねであり、その上の今であり、明日である。自分は今、長年かけて築いてきた盤石の城の上に立っていると思っていたのに、実はそれが崩れかけの砂の城だという事実をいきなり突きつけられたら、やはり誰でも最初はそれを否定し、その理不尽さに怒りを感じるだろう。
しかし、僕たちが半ば盲目的に信じている、「今日と変わらぬ明日」の連続というやつは、実ははなはだ危うい。別に悲観的になれと勧めるわけではないけれど、「今日が来たから明日も来る」というのは、世界の法則でも理論でもルールでも何でもない。
ここでいきなり「武士道」なんて言葉を出すのもどうかと思うが、「武士道とは死ぬ事と見つけたり」というのは、別に破れかぶれな訳じゃなくて、きわめて冷静に、明日の不確かさや、すべての生命は必ず死ぬ、という事実を「受容」するということかもしれない。その「受容」は、行き止まりの袋小路ではなく、そこから明日が始まるスタート地点だと言ってもいいだろう。

この作品を作っていく中で、会場である地下展示室に飾られた数々の強く美しい作品が(それらのいくつかは、学生時代の僕の憧れでもあった)、光の色合いにより、様々な貌を見せてくれる時、それらはすべて「来ないかもしれない明日」について深く考えているように感じられた。

(祈りについて、ここには何も書いていないが、祈るというのは、まず受け入れる行為であると、どこかで読んだ気がしている。そして、この作品自体が、神や宗教抜きの祈りであるというコトで、僕がこれ以上、祈りについて何か書くというのは差し控えたい)

2010年9月4日 藤本隆行


PRODUCTION CREDIT

監督・照明 藤本隆行 (Kinsei R&D)
振付・出演平井優子
音楽・ヴァイオリン辺見康孝
衣装Yuko C/E Nakahigashi
テキスタイルデザイン古舘健
  
主催大原美術館

PRODUCTION SCHEDULE

2010年7/23-30公開制作AM倉敷_倉敷市
8/7-8展示/公演Artist Meets Kurashiki
2012年10/6-7公演川崎市市民ミュージアム川崎市

MOVIES

lost 2 2010-2012 (digest)